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デザイン関連書籍を中心にまとめや感想などを書きます

原研哉『デザインのデザイン』

デザインのデザイン

デザインのデザイン

再読。7年くらい前に一度読んだことがある。ちょうどデザインという世界に向き合いはじめた頃だと記憶している。ほとんど当時の感覚は残ってはいないが、なんとなくこういうことがデザインなのかと意識の幅を広げてくれた書籍のように思う。あのときから、技術を学び、歴史に目を向け、手を動かしてみて、改めて本書に目を通す機会が訪れた。

本書は、ある種デリケートな感覚の領域を扱うデザインというものを言語化し(そのような言語が必要であると著者は言う)、その意識を多くの人に持ってもらいたいという意識で綴られている。それは美しいデザイン論を語ることには繋がらないかもしれないが、行為の記述として、社会に向き合うデザイナーの営みのひとつとして意識しているという。

デザインとは、ものづくりやコミュニケーションを通して自分たちの生きる世界をいきいきと認識することであり、優れた認識や発見は、生きて生活を営む人間としての喜びや誇りをもたらしてくれるはずだ。

原研哉デザインのデザイン』p.2

このように著者は冒頭でデザインを定義している。

デザインの歴史と21世紀的な解釈

150年ほど前、社会思想家のジョン・ラスキンや芸術運動家のウイリアム・モリスの思想と運動をデザインの源流として挙げている。バウハウス、大量生産、アイデンティティ、思想とブランド、ポストモダン、コンピュータとテクノロジー、モダニズムのその先へと、デザイン史の概略が述べられる。その後、著者が2000年4月に制作した『リ・デザイン展』の内容が紹介される。

リ・デザインとは、極めて日常的な物品のデザインを再提案をするという文字通りの営みであるが、ここでは6人のクリエイターによるリ・デザインの提案が収録されている。既存のデザインを置き換えることが目的ではなく既存のデザインとの差異のなかにデザインを発見する展覧会であると注意書きがある。どれも美しく、また合理的な機能がある。均衡のとれた価値観やものの感じ方を必要としている世界中に、デザインの本質部分を見つめ直す種がこうしてばらまかれた。

情報の建築

著者の扱う領域は感覚のフィールドにまで及ぶ。著者が考える「情報の建築」とは視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、それらの複合によってもたらされる刺激によって、受け手の脳の中に「イメージ」を形成することであると述べられる。

デザイン行為は、このような複合的なイメージの生成を前提として、積極的にそのプロセスに関与することでもある。これを情報の建築と呼ぶのは、その複合的なイメージを、意図的に、計画的に発生させることを意識してのことである。

原研哉デザインのデザイン』pp.63-64

感覚を複合して創りだされたイメージの例を著者の仕事を例に取りながら紹介される。例えば、長野オリンピックの閉会式プログラムにおける雪の感覚や、梅田病院のサイン計画における清潔感とホスピタリティのアピールの例などである。無印良品のアートディレクションブランディングや広告の計画についての話もある。無印良品のヴィジョンは「EMPTINESS」。この章で言語化される内容は面白い。その一部が無印良品のウェブサイトでも確認できた。

プロジェクトの例が示された後には、デザインという営みがどこに向かうべきなのかと論点が移る。ここで使われたデザインという言葉は、経済を動かし、商品の競争力や企業のコミュニケーション効果を飛躍させるような、実践的なデザインの側面が強調されている。つまり、製品の先、メッセージ伝達の先、其の営みの集積や反復の先に何があるかを考えている。

欲望のエデュケーション

日本のクルマを例に挙げながらメーカーと市場の現状について振り返る。著者は精密なマーケティングによりその地域に適切な商品の質が決まってくるという前提のもと、精密なマーケティングをいかに行うかではなく、市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということがここで問題にしたいことであるという。これを意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見て、企業の商品が優位に展開することはないという。

日本の住環境を例に挙げて、日本人のデザインの基礎教育が不足していると指摘している。日本人のデザイン意識の向上が(著者は、デザイナーとしての仕事の中にデザインの美意識に働きかけるようなエデュケーショナルな影響力のあるデザインをしたいと意気込んでいる)、グローバルなステージでの日本の競争力を引き上げることに繋がるはずだと述べる。

日本的なもの

日本の美意識や谷崎潤一郎陰翳礼讃 (中公文庫)』の話となる。この書物をデザインの花伝書というふうに位置づけ、日本的な感性に対しての優れた洞察を含み、厳しい西洋化の波を経て到達したものと読む。同時に、日本に熟成された美意識をはっきりと意識し、独自性を相対化していかないと、自国の価値を失うことに繋がると警鐘を鳴らす。こういった日本の美意識を意識して再想像されたプロジェクトが3つ紹介される。 

次の章に移ると、2005年の愛知万博の初期的な計画についての話題になる。古来より日本人が大切にしてきた自然と人間との関係、そして現在のそれに対する態度、エコロジーに対する日本人の潜在的なポテンシャルを鑑みての当初の計画は、制度や国民の意志により実現しなかったが、そのプロジェクト内容についての紹介がなされる。デザイン計画がうまくいかない局面があったとしても、問題の改善や、一歩でもそれを好ましい方向に進めるための意図の明確な、意志的な計画に粘り強くデザインを機能させてみたいと、著者は言う。

デザイン領域の再配置

社会がデザイナーに求める「デザインを実践する」というデザイナー像は、デザイナーに対しての認識の狭さがある。本来的にデザイナーが関与すべきは、様々なメディアを通してのコミュニケーションのフィールドである。

コミュニケーションに関与するデザイナーの仕事は、物事の本質を把握し、それにふさわしい情報の形を与え、最適なメディアを通してそれらを社会に還流させていくことである。

原研哉デザインのデザイン』p.204

新しいメディアや新しい時代のコミュニケーション手段が出現した際においても、「ポスター」や「ウェブデザイン」といった特定のメディアに特化した表層的な実践のみにしがみついていては、グラフィックデザイナーも時代の流れとともに一緒に色褪せてしまうという。デザイナー自身の職能の理解と社会へのスタンスの再認識が必要と述べている。

デザイナーが関与する情報は「製品』であり、それにはもちろん品質があるという。「情報の質」を高めることでコミュニケーションの効率が生まれ感動が発生する。同時に受け手の理解力を加速させることが可能だ。デザイナーが関与する「質」に関して、世界デザイン会議ではそれを「情報の美」として位置づけ、それを構成する要素として、本来的にはいくつでも考えれれるが、ここでは「分かりやすさ、独創性、笑い」という3つの視点が設定された。話は生命科学の話やデザインに関する語彙の整理を経て、締めくくられる。時代の変化に合わせて、自らのデザイン活動を通じて、デザインの意味を刷新していくことがデザイナーには求められる。

感想

著者のいくつかのデザインプロジェクトを例にしながら、それをデザインするプロセスにおける著者の思考に触れることができたのが良かった。ちょうどこの本を手にしたときは、デザイナーにとってのブランディングとはなにかと考えていた時期であったので、思考プロセスについての記述はためになったし、あまりこういう領域について言語化されることが少ないので貴重だと思う。

おそらく日常の業務に追われていると見失いがちな本質的なデザイナーの視点やデザインの本来的な位置づけの解釈を、手に取る度に思い出させてくれる書物になりそうである。過去から現在、そして未来への包括的な視座と、デザイナーのコミュニティやディスコースに対するデザイナー的な貢献は、私が思うところのデザイナー像に近いものがあったと思う。

関連書籍

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